@article{oai:fujijoshi.repo.nii.ac.jp:00000734, author = {藤井, 義博 and FUJII, Yoshihiro}, issue = {1}, month = {Mar}, note = {西洋近代医学の草創期に活躍したドイツ人医師クリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラント(1762-1836)は、「長生法」や「医学必携」を著し、その影響は広く、当時のみならず長く後世にも、医師のみならず一般人にも、西欧諸国のみならず日本にも、江戸の蘭学医から明治以降の医師・医学生にも及んだ。本研究は、フーフェラントが医学を統合する原理とし一般人の長生法を正す礎とした「生命ないしは生命力の原理」が、フーフェラントにおいて確立された内面主体である「正直で感性のある人間」と密接に関係していることを明確にする試みであった。「正直で感性のある人間」は、フーフェラントにおいて臨床実践と現象観察とが経験に転調する内面主体であり、フーフェラントが医師として医学を実践した主体であり、フーフェラントに長生法のアイディアを可能にした主体であり、長生法を通じてフーフェラントが一般人とくに若者に獲得させようとした人間のもうひとつの在り方としての内面主体であった。「正直で感性のある人間」は、新渡戸稲造における内的基準を持ったパーソン(人格)すなわちトワイス・ボーン・メンの誕生に伴う主体である。あるいはエマヌエル・レビナスにおける、全体性(totality)から分離され、孤独で利己的なそれゆえに幻想の世界に生き得る内的自己が、他者の顔との超越的な関係において、無限(infinity)の利他性へと深化し続けるようになる内面主体である。近代西洋医学における医師としての主体は万人に共有されている良識(lebonsens)を備えた主体であり、フーフェラントの「正直で感性のある人間」はその必要条件ではない。この良識を備えた主体者による実践が科学であるならば、医師に科学者と同じ良識の備えのみを要請する近代西洋医学は、医学の長い歴史における科学革命の成立を意味する。「正直で感性のある人間」は、良識を備えた主体者による科学や近代西洋医学の中にどのように再統合されるのかされないのか。身体運動習慣は、この両者の接点になり得ることをフーフェラントは示唆している。すなわち現代科学と現代医学とが健康長寿における有効性を実証している身体運動習慣は、フーフェラントの長生法では健康、修復の一貫性、身体の耐久において動物力が有効に行使される内容である。その内容を魂の喜びやユーモアなど人間の精神力が同時に行使されるものに転調するならば、良識を備えた主体者と「正直で感性のある人間」の活動の中庸が回復され得る。そのときこそ、動物力と精神力を行使する人間が、良識ある主体者かつ「正直で感性のある人間」として創造された目的を完全に遂行している状態ということができる。, 5, KJ00009362523, 原著, Article}, pages = {13--26}, title = {フーフェラントの医学と長生法が目指した主体 : その現代医学における意義}, volume = {9}, year = {2014} }